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2010年5月

2010年5月19日 (水)

延期中

母体調不良でレスパイト退院延期中

夜に突然の頻脈(通常の2、3倍)と酸素濃度も下がった

普段は徐脈でハラハラするが、頻脈も相当くるものがあった

担当看護師さんが主治医を呼び

主治医待ちアラームの最中も、看護師さんが4人来て

「ちょっと長いね(異常が)」と談話されてた時は

”早くカモン主治医”と思った

主治医来て胸部聴診にて小声で「不整脈出てるな…」

看護師さんに「心電図、レントゲン、採血、血ガスする」と言った時は

”葬儀場や色々どうしたらいいんだろう、わたしついに1人か、こんなに突然やってくるものなのか”

キングオブ無口になり、主治医の表情や行動を穴が開くほど見ていたと思う

冷静な主治医の姿、見える部分から真実を読み取ろうとする患者心理を久々味わった

もっとも、あの冷静の極みである我が主治医の表情は読み取れる訳ないが…

なんだかんだでその晩より落ち着きを取り戻し

翌日再度心電図、採血

不整脈あるも、悪い不整脈ではない(誰にでもでる類の)とのことで一安心

心配なのでしばらく様子を見ようということで退院延期に

さらに翌日、24時間心電図(結果まだ)

この様子見期間に再発作等あればさらに検査をし、このまま落ち着いていれば安心して退院

ということになっている今日この頃

こういうときに24時間医療機関に居られる安心感なんていうものはものすごい安心感であり

ありがたい限りです

これと平行して

今回はいやに現実的に母が居なくなってしまうことを考えてしまい

ただただ家で号泣

そんなの嫌過ぎる、どうして行ったらいいのか

母が居なくなって、色々しなくちゃいけないことをいちばん母に聞きたいのに

その母が居ないなんて想像しただけでも号泣する

まだまだ「大福餅~」ってフワフワほっぺた触らせてよね

「大福餅じゃないわお母さん」

「フワフワで気持ちイイってことだよ」

「えー大福餅って~」ってまたのんびり家で笑おうね

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2010年5月 9日 (日)

真面目に考えるほど

真面目に考えるぼど

バカバカしく思えてくることがある

ケアマネの顔が浮かんでくる

色んな人の姿が浮かぶ

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2010年5月 5日 (水)

GW終わる

GW終わるなー

ケアマネさんから

「胃ろうやって欲しいならヘルパーじゃなくて家政婦を雇えばいい」と言われている

母も退院するにあたって

今まで通りの在宅プランで退院するか

ヘルパーさんの強化や、家政婦さんを頼む事や色々考えないと。

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2010年5月 3日 (月)

レスパイトの葛藤

現在、母レスパイト入院中

病院へは1日置きに病院へ行っている

GW中のレスパイト、今年は私も久々元気にGWらしいGWを過ごさせていただいて

嬉しい、ありがたい限りである。

しかしそもそもレスパイト入院は様々な要因から罪悪感があり、どうしても拭い去れない。

葛藤コントロール。

自分の母に対しては在宅療養が基本と考えているし

病院の方々にも本当に大切にしてくださっているといえども

もちろんマンツーマンではないので、寂しくないだろうかや

テレビのチャンネルひとつにしても、毛布ひとつにしても、なにか不自由してないだろうかと考える

そんなことを諸々考え出すと、気になって気になって、心配で娯楽・休息どころじゃなくなる

実際、病院にいった時に母の身体に付いている機器が増えていたり

様子が違ってたりすると、今やだいたい何が起こったのか想像でき、実際当たっているので

もうそんな時は罪悪感の極みである

母が寂しく不自由な思いをしているのに、

例えば”わたしはこんな飲み歩いてていいんだろうか、こんなに寝てていいんだろうか”と思い出したりする

その上、例えばヘルパーさんが

母に「入院イヤだよね~早く帰って来て下さい~」や

私にも「また入院ですか?」と言われると

母の為に気遣って言ってくださっている事も百も承知なのだが

実に複雑な気分になる

罪悪感しかない。

しかし最近はこれと平行して(あくまで平行)

在宅時は3時間の自由、ほとんど用事で終わりつつ

なんだかんだ24時間の強烈責任感と臨戦態勢

睡眠も、浅い睡眠1.5時間を2、3回

この肉体疲労現実を冷静に考えられるようになってきた

病院から定期的にレスパイト入院の連絡を下さるとてつもないありがたさ

母入院中も、私に対して本当に優しくお心遣いをしてくださる皆様のご対応

24時間医療現場に母が居る安心感

等など

そう最近は母の心配を考え出したら無理にでもこれらの方をクローズアップするようにしている

様々な心身葛藤遍歴を経て現在の心境に至った

といっても在宅体勢との調整部分の兼ね合いなどはまた別問題で、未解決課題は山ほどあるし

母の看病は今しか出来ない大切なことだ

病状進行もしていく

今日は今日しかなく…

結局なんなんだ

看病生活に限らず

何かを失ったり辛抱しなければ、何かを手に入れることは出来ないんだろうし

何かを手に入れる為には、何かを失ったり辛抱しなけれはならないんだろう

これが現実か

”生きているとこういうことも起こる”ということなんだろうか。

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